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良い夫婦でいるために私が努力していることをご紹介!

熟年夫婦

夫婦はお互いに協力しあってと結婚式の祝辞でも言われたことを覚えていますが、協力するという言葉の前には、努力という行為が必要となる気がします。

育った環境や各々の性格の違いなどがある二人が夫婦という運命共同体という一つのモノにいきなり二人して乗り込む訳ですから、努力はついてまわるものではないでしょうか!?

お互いが当たり前だと今まで信じてきたことが、相手にとっては当たり前ではないと突きつけられる現実に戸惑い、年月を経るほど「努力」という文字は重く二人にのしかかる言葉のような気がしてならないのは、私だけではないのではないかと感じています。

目次

お互いの違いを努力で認め合える?

ゴルフで夫婦喧嘩

私たち夫婦はお互いに性格がかなり違うといまだに思っています。育った環境も単純に裕福な家庭に育った主人と、結構シビアな環境で育ってきた私とでは、経済面一つとっても考え方はかなり違っていました。

いつもなんとかなるとのんびり構える主人と、なんとかするにはこうすべきだと対処方法を先に考える現実的な私とでは、私の方がイライラ感を感じることの方が多く、現実をちゃんと把握してよと衝突することが多々ありました。

これはもう、お金に対する考え方が育った環境の違いがハッキリと表れてしまった典型的なものだと言えますし、性格的にもおっとり、のんびり(と言えば聴こえはいいですけどめんどくさがり屋さん)とした主人といつも何か追われているようにセコセコと物事に対処する私との性格の違いでもあると思います。そんな二人が夫婦として生活を共にしている訳ですから、お互いを認め合うなんてなかなかできそうにないことだと感じていました。

でも、このままでは不満が募る一方でどうすれば衝突を減らすことができるのだろうかと悩みこんでしまったこともあり、辿り着いた答えが「私が夫婦の財布の紐を握る」という自分にしては画期的な結論でした。主人には「渡りに船」だったらしく「お前の方がしっかりしているから、その方がいい」ともろ手を挙げての賛成でした。但し、後からシマッタと思ったのは「どんな相談でもしろよ、但しお金以外の相談な!」と言われたことでした。

こんな経済的な大事なこと、一つでもこうですから夫婦して色々な物事に対して努力していくということは生易しいものではないと思いませんか?でも、環境と性格の違いを逆手にとって、お互いが都合の良くなる努力だと考えたら、少しは努力することがそんなに難しいものではないと今では自分に言い聞かせています。

出来る事を出来る人に任す努力

結婚式

うちの主人は典型的なアナログ人間でもあり、携帯はいまだにガラケーを使用していますし、FAXを送信してと頼むと、できる訳ないよと云う人です。又、機械オンチだけではなく、電球の球の交換もできないし、ヒューズがとんでもオロオロとしてしまう位、世の中のご主人たちがスイスイとやってのけることが一切できません。昔、実家で犬を飼い始めた時犬小屋の組み立てを頼まれ、2時間かけてもでぎず、代わった私がものの15分もせずに組み立てたことがある位です。

私の方は、少し大き目のエアコンでもバラバラにして掃除するのは朝飯前という位、通常家の中で男の人がやるようなことを得意としていますので、私の家の機械関係は全て私がやっています。

かたや、主人は私には真似できないほどの料理自慢の人です。頭の中にはどれ位レパートリーが入っているのと思う位、和食、中華、イタリアン、フレンチとそれはもう包丁さばきも見事で、味もレストラン!?と感じるほどの凄腕です。調味料に至っては、舌を噛みそうな発音のものが一杯並らんで、使いこなします。

私は、仕事一辺倒の日々を理由にいまだに見てる人が危ないと思うほどの包丁の使い方しか出来ない妻で、信じられないかもしれませんが食事の担当は主人です。

そうです、私たち夫婦は「出来る事を出来る人がする」という協定がちゃんとあるのです。もちろん、その協定を結ぶまでには普通のご家庭と同じような妻として、夫としての役割でしたが、苦手なことを無理して苦手な人がするより、得意なものを得意な人がやろうと話し合いの努力が実を結んだ結果なのです。

苦手なことを遣り続けることによる精神的負担が、喧嘩の原因ともなってしまうし、「苦手」という後ろめたい言葉が言葉以上にしんどい毎日を送り続けていたからなのです。もちろん時間がない時は、必ずしも協定通りにしなくてもいいというものもあります。

生活の中で、信頼して相手に託すという努力は、無駄も省くし衝突を避けられる手段の一つとして役立つのではないでしょうか?

夫婦の努力はやっぱり不可欠!?

熟年夫婦

夫婦の積み重ねてきた年月があると言うことは、それだけでも夫婦二人が努力を重ねてきた結果と云えるのではないでしょうか?

何をやっても可愛いとか、何をやっても頼もしいとかお互いを微笑ましく見ていられた新婚時代などつかの間のことだったと思っている人の方が断然多いのではと思います。

一人だったらこんなことも出来た、あんなことも出来たとイライラしていた時期も私には正直多くありましたよ。でも、きっと主人の方も心の中で、あーあ、一人だったらなぁと思って我慢してくれていた時期も当然あったに違いありません。

そう考えると夫婦はやっぱり「お互いを映し出す鏡」なのではないでしょうか? 自分の思っていることは恐らく相手も同じように思っているということです。自分にとって嫌だと感じることは、相手も嫌だと感じているに違いないと私は少しづつ思えるようになりました。

それが理解出来始めると、夫婦の努力には鏡を考えた努力が必要なのではないでしょうか?自分だけが努力している訳ではなく、相手も努力しているという事実を理解した上で、お互いに感情の通り道の隙間をちょっとだけ空けてあげて、お互いの逃げ場も創り出していくこと、これが夫婦の努力というものであり、夫婦が成長していく上でも大切なことではないかと感じています。

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