最期に夫婦でまともに会話をしたのいつだっけ?
ふと気が付くと、結婚当初はラブラブだったのに最近は会話はおろか、まともに顔を見て話していない。これで夫婦といえるのか?このまま会話のないまま離婚してしまうのか?
結婚前は言いたいこと何でも話し合って、お互いが何を考えているかわかっている。
そんな毎日が当たり前だったのに、今は配偶者が何を考えているかわからない。
心配でお悩みの方もいらっしゃるかと存じます。
でも、考えてみてください。夫婦の間に会話がないことは問題なのでしょうか?
いろんな夫婦の形があっていいのですが、会話がない夫婦は銀婚式を無事に迎えることができないのでしょうか?
直接の会話がなくてもコミュニケーションをとる方法①
ある夫婦には会話がない。正確には直接の会話がない。全くないのではなく、お互いに直接話しかけることがない。
どうやって会話をしているのかというと、間にペットの猫が入るのである。
トイレの電気が付けっぱなしなのに気づいたとき、「あれー?トイレの電気がついてる。おかしいなあ。誰かが私のためにつけてくれとったんかいな?」と大きい声で夫にきこえるように言う。そうすると夫は「ねこー!電気消しとけって言うたやないか!」こんな具合である。直接の会話はないけどコミュニケーションは取れているのである。
夫が会社に行く気配がないとき、妻は猫に問いかける。「○○ちゃん(ネコの名前)、今日おいちゃんやすみなんかねえ?起きてこないけど部屋で寝とるんやろうか?今日は○○ちゃんと一緒に一日遊ぶんかねえ?」そうすると夫は部屋から出てこずに「ねこー、一日中寝るぞー!お前とは遊んじゃらんのじゃ。」と返事がある塩梅。
夫婦間でお互いの休みを知らないのもどうかと思うが、この夫婦のかすがいは猫であり、無事に銀婚式を迎えられそうである。
直接の会話がなくてもコミュニケーションをとる方法②
ある夫婦には会話がない。正確には直接の会話がない。会話したくても顔を合わせる機会が殆どないのである。
妻は大病院の看護師で交代制勤務、夫は通勤往復4時間以上かかる会社に通っていて超多忙。お互いが家にいる時間すら少ないのである。どうやって出会い結婚に至ったのかすら疑問である。
子どもは4人いてそれぞれ部活動でやっぱり多忙。家族6人全員多忙で夫婦どころか家族間の会話も不足がちであった。
救世主は文明の利器、グループラインである。長男の試合日程も、次男の受験日時も、長女の給食がなくお昼ご飯が必要な日も、夫婦のどちらが何の役割を果たすのか見事にコミュニケーションがとれるようになった。
この夫婦のかすがいはスマホである。昭和では不可能だった方法である。因みにもうすぐ銀婚式を迎える。
直接の会話がなく、コミュニケーションを可能な限りとらない方法?
ある夫婦には会話がない。もっと詳しく言えば、全く会話はないが、毎日「おはようございます」「いただきます」「ごちそうさまでした」「おやすみなさい」最低限の挨拶はかかさない。
夫は会社員として単身赴任で何年も家族と離れて生活し、せっせと稼ぎ、立派に勤め上げた。妻は俗にいうワンオペ育児を担い、一人で家庭を切り盛りし立派に子供を成長させた。
ずっと別々に生活してきた二人には共通の話題に乏しい。趣味も違う二人はお出かけも別々である。妻は夫に話しかけても反応が薄いからもう会話はあきらめて早○○年、夫は元来無口であり、一日しゃべらなくても平気な性分である。お互いがお出かけしない限り、夫婦は一緒に食事をするがお互いを見あって食事するのではなく、テレビを見ながら、笑いながら食事をするのである。
きっと、同じところでお互いが笑えれば、笑いのツボが一緒なら心は通じ合っているのかもしれない。二人にはもうかすがいは必要ない、銀婚式は済んだので次は真珠婚式、珊瑚婚式である。
夫婦の間に会話がないことは悩むべきことなのか?
結婚する前から憧れていた会話あふれる笑顔の絶えない夫婦。もちろんそれが理想であり、夢見てきたことを否定するつもりはありません。実際に会話が多く笑顔の絶えないご夫婦はいらっしゃるし、うらやましく思います。
でもその頃を思い出してみてください。会話がない時も、隣で寝ている配偶者のいびきが(寝息が)聞こえてくるだけで幸せでしたよね。
また、会話が多い夫婦は意外と衝突も多く、それなりに喧嘩の数もこなしているかもしれません。それはそれでまた別の心配があるだろうし、やっぱり悩んでいるかもしれません。
高齢の人生の先輩方に伺うと「男は無口が一番!」とか「女は愛嬌(あいきょう)があればいい、うるさいのは敵わん!」とかおっしゃいます。昔のコマーシャルでも(亭主元気で留守がいい)とのコピーが流行りました。
夫婦の間に会話がなくても、何を考えているかわからなくてもお互いに感謝して、信じていれば何の問題もなく銀婚式を迎えられると思います。
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